名称 | 所在地 | 地図 | |
絲原家 | 仁多郡奥出雲町 |
絲原家の祖先は中世武家一門で、江戸時代初期に備後国からこの奥出雲に土着。帰農して、たたら製鉄を始めた家です。 江戸時代末期に現在地にたたら工場と住居を移し、大正時代末期までたたらの火を燃やしていましたが、洋式製鉄の普及により約280年間行っていたたたらの操業を廃止。家業を山林業に転換した家です。その間、藩政期には松江藩の5鉄師として鉄師頭取も務めました。(絲原記念館) 天明8年(1788)に現在地に主力鈩である「鉄穴たたら」を設け、永代たたらとして大正10年(1921)までの133年という長きにわたって操業した。鉄穴鈩の名称は、この地が、大規模な鉄穴流し(大鉄穴)が行われた跡地であったことから、そのままそれを名称にしたという。特徴として一般的なたたら場山内とは異なり、豪壮な構えの絲原家の居宅や出雲流として著名な庭園が同居するという職住接近というところにある。明治30年代後半において、この鉄穴たたら山内には39戸196人が居住し、このほかに手代屋敷が数件所在し、計百数十名が生活をともにしていた。 今日、絲原家住宅主屋ほか計8棟が国土の歴史的景観に寄与していることから、国登録有形文化財に登録されている。黒門(門柱門扉)で迎える奥行きのある屋敷構えは、隆盛を誇った鉄師頭取の佇まいを今に伝えている。また、敷地内には、製鉄を司る者すべての守護神である金屋子神社を配するなど、金屋子の神が宿るたたら山内景観は、一種独特の異空間をつくり上げている。(「奥出雲のたたら製鉄及び棚田の文化的景観」奥出雲町) |
絲原家黒門 |
絲原家が文久2年に開発した大馬木地区の大原新田(棚田百選) |
絲原家庭園 | |
大正13年建築の母屋 | 大原新田 |