中国山地の蹈鞴(たたら)で栄えた街並みや鉄山師 


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 県名 市町村  名称  概要 
  島根県     雲南市   吉田(田部家) 

 出雲御三家の筆頭鉄師田部家の居宅のある所で、田部家を中心にして街並みができた。田部家の祖は、紀州熊野庄田辺氏の流れと伝え、文永年中(126475)吉田村に移住し、寛正元年(1460)本格的な鑪製鉄を創業した。

 石原家

 寛政年間、下久野の井谷で石原市郎太が鑪製鉄業を始め、市左衛門・衛造と続く。松江藩9鉄師の一人として宝暦から天明年間まで鑪製鉄を操業していた。

奥出雲町      絲原家

 絲原家の祖先は中世武家一門で、江戸時代初期に備後国からこの奥出雲に土着・帰農して、たたら製鉄を始めた家です。江戸時代末期に現在地にたたら工場と住居を移し、大正時代末期までたたらの火を燃やしていましたが、洋式製鉄の普及により約280年間行っていたたたらの操業を廃止。家業を山林業に転換した家です。その間、藩政期には松江藩の5鉄師として鉄師頭取も務めました。(絲原記念館) 

 櫻井家

 櫻井家は、戦国の武将塙團右衛門の末裔家です。
正保の頃(
1644の頃)、第3世直重は出雲領上阿井の地に移り、屋号を「可部屋」と呼び“菊一印”の銘鉄を創り出しました。その業績は松江藩に認められ、やがて第5世源兵衛利吉は「鉄師頭取」の要職を拝命し、広く地域内の鉄山業を総取りしきりました。

 卜藏家

 (ぼくらけ)

 卜藏家は河内国の武将楠氏と伯耆国の武将名和氏を祖として伯耆・出雲の守護山名氏に仕えた武将で、4代の頃より当地に屋敷を構え,姓を卜藏(ぼくら)と名乗るようになりました。
 松江藩の5大鉄師として仁多郡奥出雲町竹崎村を本拠地に鈩作業を行いました。卜藏家の元屋敷は今日の卜藏庭園を中心としたところに構えられていました。

 杠家

(ゆずりはけ)

 文明年間備中より落城の落人として来住後土着し、雲州の鈩師の開祖といわれる。各地に其の鈩跡を残し幕末の世迄繁栄した。付近一帯に屋敷跡及び菩提寺累代の墓地等散在している。(杠家屋敷跡説明板) 

 山根家

 亀嵩を中心に13の鑪場を持っていた。松江藩の九鉄師の一人として、宝暦から天明年間まで鑪製鉄を操業していた。

 出雲市  櫻井家   


 県名 市町村  名称  概要 
広島県  庄原市   名越家

 (古家真家)

 たたら製鉄の盛んな頃、森脇地区(庄原市比和町)の元締めとして権力をふるった古家真家(名越家)がある。現在、住宅跡は「山止め」「水の手」「大手」などのちみつな石垣を残している。

 西城

 西城は鉄の集散地として栄え、代官所が置かれて政治上の要地でもあったが、奴可郡の産鉄を管理する西城町御鉄会所が置かれ、鉄山業の中心地ともなった。

 東城 

 古くから陰陽連絡の要地、備中と備後の藩境の要衝として栄えた町である。浅野藩の支配では、家老亀田高綱とその家臣団を配した。東城は「くろがねどころ東城」といわれ、鉄の集散地として栄えた。

 比和  
 出雲路の比和宿が置かれ、比和駅を中心として市街地が形成された。明治39年森脇に製鉄所が開業し、銑鉄運送のため交通量が増加し、これに伴って市街地も発展し、地域の中心地となった。
 安芸太田町   加計(加計家)

 隅屋八右衛門家は近世初期から鉄山経営をてがけており、最盛期の化政期には山県郡戸河内・芸北の村々から石見国にかけて鉄山(鈩・鍛冶屋)が分布し、中国山地で鉄山経営者中最大の規模を誇っていた。 


 県名 市町村  名称  概要 
  鳥取県 日野町   根雨(近藤家)

近藤家は、江戸中期に備後国から移住したとされる。備後屋を屋号とし、代々鉄山師を営み、奥日野郡の大庄屋を勤めた。幕末に経営規模を拡大、大坂の出店を置くなどして領内一の鉄山師に成長、明治期には近藤喜八郎が製鉄事業の発展に努めた。


 県名 市町村  名称  概要 
  岡山県 新見市   千屋(太田家)

 新見市の千屋村一帯は江戸時代、鉄穴流しによる砂鉄採取やタタラ製鉄が盛んで、各所に鉄穴井出跡が残る。
 千屋村の鉄山師太田氏は正保
3年(1646)以来土着、高梁川水系の鉄山師のなかでも知られた存在であった。太田氏は鉄のほかに牛の飼養も行い、牛馬市を開設して畜産業にも大きな功績を遺した。 


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