鹿児島藩の近世外城の一つである。薩摩郡に属し、中之郷に位置付けられ、北郷氏の私領である。鹿児島城下から12里半の地にある。領主仮屋は、平佐城跡の西麓にあった。
寛永13(1636)年の堺目人数・武具注文では、人数1,434人、うち男835人となっていた。