街並みの名称 | 国分 | 地図 |
所在地 | 霧島市国分中央2丁目 | |
訪問日 | 平成21年5月3日 |
鹿児島藩の外城で、同藩の直轄領。近世の国分郷の麓は舞鶴城の南西側に形成され、麓の南部には野町である唐仁町・本町の町場が発達していた。島津義久が隠居するために築いた城で、御屋形跡は現在の国分小学校、県立国分高校となっている。 寛永13(1636)年の堺目人数・武具注文では、国分衆は、人数9,186人、うち男5,232人、鉄砲66挺、弓36張、槍74本、長刀4振、具足7両を備えていた。 |
朱門は、復元されたものを舞鶴小学校に移設したもの |
整然と区画された石垣 |
舞鶴城の堀 | 武家門 |
大隅国分寺跡の石造層塔 |