笛吹川の支流の兄川の発源する山間地に位置する。地名の由来については、「さす」は焼畑を意味するとされ、地形上霧が深くさすため古くは霧指(きりさす)と称し、のちに転じて切差になったと伝える。
江戸期は、はじめ幕府領、のち甲府藩領、享保9年からは幕府領。農間に養蚕や山稼ぎを営んだ。はじめ小幡村、昭和29年からは山梨市の大字。養蚕を営む家が多かった。