江戸期の甲州街道の宿場。元和4年に宿として名乗ったという。 江戸への里程は31里26町、近隣の宿場へは駒飼宿へ1里3町、栗原宿へ31町36間、宿往還は柏尾村境から等々力村境まで長さ16町26間、宿内の町並みは東西12町、天保10年の宿内人別786(男394・女292)、宿内家数192、本陣は字上町に1軒あり、建坪87坪、脇本陣は字上町と字本町に各1軒あり、建坪は上町が37坪、本町のが87坪で、本陣・脇本陣のいずれも門構・玄関付き。