近世山陽道の宿駅である。 古くは呼坂村の南部にある海老坂の上にあったが、坂の東下に町屋が移り、江戸中期頃には海老坂の下に宿駅が定まった。呼坂宿は人足49人、馬15匹を定められ、不足の時は原・呼坂より調達されていた。大名・公家などの宿泊する本陣は、呼坂市の河内七左衛門家が務めたが宿泊は少なく、休息所にあてられた。宿泊に際には脇本陣として西善寺があてられたという。