錦川が屈曲した地域が須万市と呼ばれた地域である。地元では須金ともよばれている。江戸期は徳山藩領であった。 徳山藩では、特産物として、造紙を重視してその政策を進め、貢租はすべて紙による上納であった。当村の紙業は、天正元年に字奥畑の九郎兵衛が根笠村から習得して帰り広めたという。