江戸期は萩藩領で都濃宰判に属していた。当地は、熊毛郡三丘を本領とする家老宍戸家の給領地であった。 明治7年総工費7,800円をかけて堀川運河を完成。太華山の北麓で、徳山湾と笠戸島を結ぶこの運河は長さ760間・幅8間・深さ15尺、満潮時には20〜30トン級の船舶の運航を可能にするとともに、それまでの低湿地を良好な美田に変えた。