周防大島の南東に浮かぶ面積1平方キロメートルにも満たない小さな島、それが沖家室島だ。慶長11(1606)年には、伊予水軍といて知られる河野氏の家臣たちが移り住んだ。以来、島は瀬戸内海の交通の要衝となり、北前船や参勤交代の停泊地として栄え、朝鮮通信使も往来した。今も島内には、そのころ本陣の役割を果たした海龍山泊清寺をはじめ、毛利藩の御船蔵、御番所、高札場の跡のほか、通称、殿様山の頂には狼煙場も残り、当時の繁栄の名残を感じることができる。
この島は、海外移民の島としても知られている。明治期以降は、瀬戸内海だけでなく、朝鮮半島、台湾、ハワイ諸島へも出漁する日本でも有数の漁港となった。
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