江戸期には、本土に最も近い小松が屋代島の玄関として重要であった。藩の御用達渡舟1隻も常に用意されていた。 元禄年間(1688〜1704)から広大な入浜塩田が作られて大量生産が始まった。塩の生産により北前船が盛んに入港するなど、当町域は活況を呈した。