長府藩領で東豊浦郡奥支配に属していた。萩城下と赤間関を結ぶ街道沿いにできた市町である。幕末の豊浦藩明細書では田部市を左右355間1尺5寸とある。 目代が市を統括し、毎月市立が行われ、12月26日は歳終市とよばれてにぎわった。