特牛は、幕末から明治にかけて急激に発展した港で、それまでは船も商売もあまりなかったようである。 幕末期以降は風待港として船の出入が多かったのも確かで、入港する船の数を慶応3年(1867)の網屋松右衛門客船帳は105艘以上、同年の仙崎屋豊太郎の自他国廻船客帳は、287艘以上と記している。