山代郷の中心として、早くから開けた地域である。萩藩領で奥山代宰判に属した。山代郷の政治的中心地として、慶長以来、御茶屋、勘場と称した代官所が置かれてきた。 本郷は栄え、幕末には家数200、人口700人を超していた。地方の物産、紙、楮、木炭などを売買し、飲食店、旅館もあって近村第一の繁華街をなしたようである。