椿東分の西に位置する漁村である。街並みは鶴江台南麓で、松本川の河口にあって対岸は萩城下の浜崎となる。慶安5(1652)年の城下町絵図は鶴江台を釣井壇と記す。提供2 (1685)年「八江萩八景」が選定されると釣井を鶴江に改め、萩八景の一に数えられた。 鶴江は早くから遠洋漁業を試みた所であり、文化末年以後、毎年20艘以上の漁船を仕立てて、壱岐・対馬・肥前に出漁した。