藩政時代は、浜崎宰判に所属した。 越ヶ浜の独立は、他の浦よりやや遅く、延宝4〜5(1676〜77)年頃浜崎代官勝間田権左衛門就通が越ヶ浜を開き民家を誘致して以来浦として発達し、天和元(1681)年新浦とりたてになったという。以後漁船の増加とともに漁業が発達し、黄海や東シナ海方面にまで出漁する。 また、風待ち港として北前船の寄港地でもあった。