藩政期は奥阿武宰判に属した。地名の由来は、北西にそびえる十種峰による。 石州街道(野坂道筋)が通り、徳佐市より阿武川沿いに下れば、生雲を経由して山口に至り、上れば野坂峠を経て津和野城下に至る。 徳佐市は市町として栄え、すでに慶長15年の検地帳でも市屋敷とされているが、「注進案」には軒数82軒と記載されている。