藩政時代は、奥阿武宰判に属した。 つづら川河口に位置し日本海に面する宇田浦は、石州街道の沿道にあたり、また福田、片俣、嘉年、弥冨各村からの米の津出場でもあった。このため本陣や駅が置かれ、萩への廻船や漁船が33艘あった。