この母屋は、安政6(1859)年漁夫として北海道に出稼ぎ、翌年独立して差網料家となり、のち、ニシン建網漁業で成功し、北海の漁業王と言われるようになった青山留吉翁が、ここ郷里青塚に明治23年に竣工されました。 又、他に「北海道開拓の村」に移築された元場住宅小樽市祝津の旧青山別邸(美術豪邸)等が現存し、公開されています。