上杉氏の入封により米沢城下には大量の家臣団が移住することとなったが、城下を拡張・整備したのは、慶長13・14年になってからである。 侍屋敷は、三の丸の郭内と郭外に分けられた。郭内には,43町、家数は計892軒となっている。郭外には50町、家数は計1,877軒となっている。 また、大身の武士は、郭外に陪臣(原方)集落を設けたのが特徴で、たとえば、色部氏の窪田村、毛利氏の川井村、中条氏の山口新町などがあり、総計22村、家数1,444軒に及んでいた。