関ヶ原の戦後、上杉家が120万石から30万石に減封になり、家臣たちは困窮を極め、そのため普段は農業をしながら半農半士の生活を送ったのです。 茅葺き屋根の家、生垣、庭木などに当時の郷士集落の面影をしのぶことができます。 集落の生垣は、ウコギ(ヒメウコギ)で造られ、我が国のウコギの生垣としては、最古で最大の規模を誇ります。地元では、この生垣の保存に積極的に取り組んでいます。