最上義光は当地を重視し、多くの寺社を配した。 湯殿山は、延歴4(785)年に開かれたと伝え、丑年には例年の10倍にも達する参詣客が訪れ、夏季には当初だけでは宿が足りず、鉄砲町,隆善院、十日町積院にも分宿したという。当町を中心に五日町、鉄砲町、小姓町、横町、塗師町、宮町などには参詣人目当ての娼家も置かれていた。
造り酒屋の多いことは山形の名物にも数えられているが、八日町の37人を最高に町全体では111人に及んでいる。当時の造石高は本石の8分の1で、1〜2石の小石から最高は七日町の惣左衛門の84石で町全体では1,503石である。