最上初代城主斯波兼頼公より12代義光公まで、此の辺は御小姓屋敷となっており、周辺は乗馬の地であった。
慶安元年、松平下総守忠弘朝臣19代城主として入部、寛文4年(1664)2月社殿を建立して勧請す。祭神は、稲荷魂命にて、五穀豊穣、商売繁昌の氏神として此地一帯の人々より崇敬され今日に至る。
昭和54年5月、氏子の志により、社殿を新築す。 城主秋元涼朝の文政4年(1821)城下の宿屋に遊女を置きたき申出あり、発展のため許可す。小姓17年より同30年頃まで、市内の貸座敷業者が集結し、小姓町遊郭となり、明治、大正、昭和と60年間にわたって歓楽街として繁栄せり。(東前稲荷神社の説明板)