戦国期には、最上氏支族の山野辺氏の居城が置かれ、同城の城下として、早くから町場も形成されていた。 船町河岸に近く、同河岸を移出入する物産の集積、中継諸として好適な位置にあった。 当村は、紅花の主産地であり、また白鷹上陸は青とを産する土地であったため、青と市なども立買人が他村から集まった。