羽越国境に近い要衝として集落の南の楯山に小国氏の居城小国城址があり、古くより番所が置かれていた。 番所を南端として南北に通ず街道の両側に家が立ち並ぶ典型的な宿場町的景観は今に残っている。 街並みの整備は、天和2(1682)年の大火後に行われた。弘化元(1844)年当時6軒の旅籠屋と3軒の茶屋と1軒の木賃宿があった。