江戸時代、温海集落は、湯村、湯温海村などといわれた。 開湯は、天武天皇元(672)年、役の行者の発見説や弘化10(819)年の弘法大師発見説があるが定かではない。天保11(1840)年当時の宿屋は43軒で、年間湯治客は3カ年平均が見積りで、5,000人とされている。庄内藩主や松山藩主が入湯し御茶屋も置かれていた。