中世以来、酒田のまちづくりを支えてきたのは「酒田三十六人衆」といわれる自治組織でした。京との流通に携わった地元の商人や全国各地から酒田の地に移住した商人たちで構成されていたようです。 三十六人衆に名を連ねるには、本町通りに屋敷を構え、人柄と資力を備えた問屋であることが条件でしたが、商人たちの浮き沈みも激しく、17世紀末から明治元年まで存続したのは十家のみで、残る二十六の家株を巡って九十一家が入れ替わりました。