近世を通じて、四湯数えられる温泉のうち、大湯と丹波湯は、古い温泉で、中世末から近世初期には存在したと考えられる。 幕末には、大湯は3つに大別され、1つは藩主専用の御留湯とされ、御殿守、丸森与五右衛門、米杢之助、近江屋、大文字屋が共同管理に当たっていたという。 歴代藩主は、たびたび入湯し、明治初期にも上杉家は湯治に利用していた。 正保2(1645)年、赤湯村で馬市が開かれた頃から、馬商人や出羽三山行者の宿泊が多くなった繁盛し、オナベ(鍋)とよぶ傾城が集まり客席にはべっていた。