江戸期は米沢藩領。江戸中期頃、添川村から分村して成立した。 越後街道八か宿の一つで、上小松宿(現川西町)から手ノ子宿まで3里ほどだが、その区間に諏訪峠があり、道路も悪く、諸荷物運送が遅滞しやすかったので、その中間にあたる当村に宿場の新設を申請し、寛文6年に認可された。 道路の真中に用水堀があり馬の飲料水・家事・洗濯用水として使用された。