街並みの名称 | 高野山 | 地図 |
所在地 | 伊都郡高野山町 | |
訪問日 | 平成20年3月2日 平成22年7月19日 |
平安初期、空海が真言宗の根本道場として創建した金剛峯寺の別称として知られる。固有の山名としてではなく長峰山脈の東部陣ケ峰・楊柳山・摩尼山・弁天岳など標高1,000m前後の山々とそれに囲まれた盆地状の平坦地を含んだ総称で、平坦地は標高800mほど、東西6km南北3kmの広がりをもつ。 奥の院は、一の橋(大橋・大渡橋)・中の橋(手水橋)・御廟橋の3つの橋によって、3つの地域に分かれる。一の橋から最東奥の御廟に至る約2kmの参道が西から東に通じ、その両側には杉の木立に包み込まれた大小様々な20万基を超える墓石群などが立ち並ぶ。日本の歴史上の著名な人物のほとんどの名前を見ることができる。 高野山の寺内町としての発展は、俗人の専門的な商人や職人が急増したのは元禄聖断以後である。しかし、彼らは自分の家屋敷を持つことは許されず、寺院の長屋を借りて居住したが、「続風土記」によれば、天保年間(1830〜44)ごろには、こうした家が200余とも300余軒あったともいう。 当時の寺院数は774あり、職種も46種類をあげ、山上でないのは魚屋ぐらいであったという。 特産物には、凍豆腐は高野豆腐として知られ、陀羅尼を封じ込めてあるという万能胃腸薬の陀羅尼助は、いかにも高野山らしい特産物である。 |
金剛峯寺金堂 |
奥の院 |
高野山の街並み |
高野の火祭り |
山内には多くの寺がある | 宿坊を兼ねている寺 |
金剛峯寺 正門 | |
裏通り |