江戸期は、加賀藩領。旧北陸街道に沿って位置する。元禄9年、馬継宿と定められたが、屋敷地外に土地がなかったため、無高所または銀納所と称した。領内荒川東詰から南方中新川郡岩峅寺村に通じる幅4間の通路があった。 江戸期の将軍の代替りには、必ず巡見使の来見があり、この道を通過したため、巡見往来ともいった。