江戸期は加賀藩領。 農業のほかに、小矢部川でマスをとり、網や船での漁業に従事していた。村内には藩の吉久御蔵があり、領内収納米は小矢部川を下って吉久の波止場から蔵に一時収められてのちに大坂などへの廻米あるいは地行米として運び出された。吉久詰米奉行も任命されていた。また、吉久御旅屋(おたや)と呼ばれた御旅屋があったが元禄10年取り壊された。