東内川を隔てて放生津町が北辺にある。航海業が発展し、船持ちの廻船業者や蔵宿を持つ成功者が多かった。当町は大石川を境として東・西新町に区分された。放生津町と結ぶ放生津中橋・放生津西橋は慶安3年に架けられた。また新町三日曾根水落橋は寛文9年に架けられた。 渡海船・網元・酒・醤油・味噌の醸造業者がいた。街区に諸色雑貨品を販売する商店が並び、近隣の商業的中核帯を形成した。現在の本町3丁目辺りをいう。