街並みの名称 | 築地市場 | 地図 |
所在地 | 東京都中央区築地5・6丁目 | |
訪問日 | 平成29年8月20日 |
伊勢長島藩増山氏上屋敷・備前岡山藩松平氏中屋敷・尾張名古屋中屋敷跡などの武家地、本願寺などの寺地を収公し築地1〜4丁目(現行の築地1〜5丁目)を起立、明暦の大火後に築き立てた所で、江戸期から築地と俗称され、そのまま町名として定着した。横山町2丁目にあった西本願寺が移転。 明治期の築地一帯は海軍省用地と西本願寺のほかには待合茶屋・工場などが置かれ、京橋区役所・京橋警察署があった。松平安芸下屋敷跡(現在の築地5丁目の一画)は文久年中に海軍所となり、海軍兵学校(のちの海軍大学校)・軍医学校・兵学寮などが置かれるなど海軍色が濃く、帝国海軍発祥の地であった。また、築地には伊藤博文・井上馨・福地桜痴らの多くの名士が住んでいた。関東大震災を機に築地も変貌し、大正12年海軍兵学校跡地に魚市場が日本橋際から移転。昭和10年頃から活気を見せ、今日の中央卸売市場の基を築いた。 |
賑わう場外市場 |
築地にっぽん漁港市場 | |
場外市場にある「圓正寺」 | |
築地市場 | |
銅板壁の建物が残る |