街並みの名称 | 兜町 | 地図 |
所在地 | 中央区 | |
訪問日 | 平成29年8月21日 |
昭和22年以降は日本橋を冠称。維新後、明治4年までに武家地を収公し兜町を起立。町名は兜塚。甲山の伝承による。兜塚は(現在の兜神社内)については源義家が奥州征伐凱旋の時、東夷鎮護の神仏加護を祈念して日本武尊の例にならい、自分の兜で塚を築いたとする説(江戸名所)と、平将門が兜を埋めた塚とする説(江戸鹿子)とがある。また甲山は藤原秀郷が平将門討伐後、将門の兜を埋めたことによるという(紫の一本)。 江戸期は武家地で寛永の切絵図では御船出頭向井将監の邸地で、慶安年間以後は牧野氏、文久年間以後は松平伊豆守の邸地となり、南端には、向井将監邸の俗称海賊屋敷に由来する海賊橋が架けられていた。民部省通商司・米商会社ほか多くの銀行が設置され、現在の兜町の基礎をつくった。 明治7年開業の第一国立銀行の洋風建築は東京の新名所として異彩を放ち、錦絵にも描かれた。同11年、米商会社は蠣殻町に移転、跡地に東京株式取引所が開設された。 |
東京証券取引所 |
兜神社 | 「兜の渡し」説明板 |
日本橋ダイヤビルディング (旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル) |