街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   神田多町・須田町 地図
 所在地  千代田区神田多町2丁目、神田須田町1丁目
 訪問日  平成23年11月23日


 神田川は、元和2年(1616)、駿河台を掘り割り平川を東流させたもので、寛永年間には物資輸送の重要な水路となった。筋違橋から美倉橋にかけての神田川河岸は江戸中期までに深川筋に次ぐ米穀の荷揚場となった。神田川を控えた多町・須田町には青物市場が立ち、昌平橋・淡路坂などへ通じる交通に恵まれていたため、江戸近郊の蔬菜類の集散地として繁栄し、明暦の大火後の市街地整備で、貞享3年(1686)江戸市中の青物商は多町周辺に集まり、江戸城下第1の青物市場となった。また鎌倉町に魚市場が置かれたが江戸中期に、日本橋に移転された。

 江戸期以来、神田川と鎌倉河岸お中間にあたる多町を中心として須田町から雉子町にかけては青物市場が立ち、明治に入っても東京で消費される青果物の大半はこの神田青物市場でさばかれていた。

 関東大震災によって、市場一帯が焼失して後、中央卸売市場法の制定に基づき、昭和3年秋葉原駅北口の山本町を中心に神田青物市場が開場、同10年築地(中央区)に中央卸売市場が開設されたたことによって、中央卸売市場神田分場と改称された。


都府県別リストへもどる 

 
 神田須田町1丁目


 
 神田多町2丁目


 
 神田鍛冶町



   
 神田鍛冶町  
 
 神田青果市場発祥の地の石碑  
   
   


 TOPへもどる 都府県別リストへもどる 
inserted by FC2 system