江戸期には、西詰は両国広小路と呼ばれ、見世物小屋が並び、近くに柳橋の料亭街が開かれた。
東詰には、明暦の大火の死者を埋葬した回向院があり、天明年間以降境内でしばしば勧進相撲が興行された。明治42年回向院境内に国技館が建設されて定期興業となり、大正9年に丸屋根の大鉄傘が完成。
また明治37年総武鉄道(総武本線)両国駅が開設された。両国橋をはさんで上・下流で行われた両国川開きの花火は享保8年から始まるとされ、玉屋・鍵屋の呼び声で有名となり、江戸情緒を今に伝えるものとして下町の人々に親しまれたが、昭和37年以降中断、同53年再開されることになった。
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