地名は綾瀬川が隅田川に注ぐやや下流の淵名にちなむ。 淵名の由来について「本所亀戸村普門院天和6年橋場より亀戸村に移転の時、誤りて鐘をここに沈む。是より起こりし称呼なり」(江戸外名義)という説と綾瀬川と隅田川の合流点が直角に曲り、大工道具の曲尺に似ていることからつけたという幸田露伴の説がある。また沈鐘伝説については深栄山長昌寺(今戸町2丁目)の鐘銘に、沈鐘したのは当山の鐘であると刻まれている。