街並みの名称 | 品川 | 地図 |
所在地 | 品川区 | |
訪問日 | 平成年月日 |
慶長6年(1601)頃、品川宿は東海道の初宿に指定され、以後、板橋・千住・内藤新宿とともに江戸四宿の一つとなった。 品川宿は、当初目黒川以南の南品川宿と目黒川以北の北品川宿からなり、さらに享保7年(1722)宿北側の歩行(かち)新宿を加え、宿駅制度の整備に伴い旅館・飲食店・商店が集中する繁華な宿場となった。 また同宿は、川崎大師・目黒不動・泉岳寺詣でや、南品川海晏寺(かいあんじ)の紅葉見物井などの往還にあたるため浅草・吉原に比肩する繁栄を誇り、吉原の北国に対し、南国と呼ばれた。 文政年間(1818〜30)同宿の戸数は南品川宿が527軒、うち脇本陣1軒、中旅籠19軒、小旅籠16軒、北品川宿が522軒、うち本陣1軒、中旅籠19軒、小旅籠2軒、歩行新宿が388軒、うち脇本陣1軒、広旅籠7軒、中旅籠20軒であった。そして南品川宿には、貫目改所・問屋場が、歩行新宿には物揚場・石堤樋が設けられた。 |
品川宿の街並み |
品川宿の街並み |
土蔵相模跡 | |
品川宿本陣跡(聖蹟公園) | |
海蔵寺 |