新宿区1〜3丁目の坂。外堀通りから大久保通り方向に北上する。現在ではもとの都電通りを通り越して赤城神社前あたりまでも神楽坂と称している。 坂名の由来については、市ヶ谷八幡の旅所(祭礼のときの分祭所)があって神楽が聞こえたため、あるいは高田穴八幡者社の旅所が設けられて神楽が奏されたためなどという諸説がある。 この付近は江戸期には武家屋敷と寺社地によって占められていたが、明治中期以後、昭和10年代頃まで牛込一の盛り場としても知られ、「硯友社」の文士や「早稲田派」の文学者・演劇人たちも多彩な芸術活動を展開した。