江戸期の化政期の家数は374軒、うち199軒は上平井にあり、その30軒は小名宿に軒を並べ、宿では毎月3度6の日に市が立ったという。幕末の開港以後、当地一帯に養蚕が隆盛になると繭の集散地として発達した。
平井は江戸期、脇往還が通り、墨田区の吾妻橋から平井聖天(江戸川区)に至る。平井聖天の参詣道に利用された。