街並みの名称 | 南千住 | 地図 |
所在地 | 荒川区南千住1、5、6 | |
訪問日 | 平成23年11月23日 |
文禄3年(1594)荒川に千住大橋が架けられ、慶長9年(1604)までに日本橋を基点とする五街道が整備された。奥州・日光両街道が重複して通る千住大橋は交通の要所であり、両街道と水戸街道の合流点である千住宿を控えていた。 両街道に沿った小塚原町・中村町は、万治3年(1660)に千住宿の加宿となり、通新町も両街道に沿う関係から早くから町場をなしていた。 将軍の日光社参、諸大名の参勤交代に伴って、千住の宿場、は隆盛をきわめた、小塚原・中村両町の茶屋には飯盛女を置いた旅籠屋ができ、元禄15年(1702)には、江戸吉原から遊女私娼取締りの訴えが出されたほどであった。幕末の頃の両町は飯盛旅籠14軒、居酒屋3軒をはじめ、商家130軒ほどが軒を並べて活況を呈していた。 |
南千住 |