寛永11年鳥取藩主池田光政は、家老和田三正に小鹿谷に陣屋を開設し、松崎の「自分手政治」を行うことを許した。自分手政治とは藩が町の土地住民を直接統治せず、各領主として管理させることをいう。 小鹿谷の陣屋は、「松崎絵図」などによると、平屋葺きで正面と西側に門があり、内に店間と称する10間に5間の別棟があった。