博労町 米子町の東の出入口にあたる交通の起点。町名の由来は、博労たちが集住していたことにちなむ。 糀町 町名の由来は、糀屋が集住したことにちなむ。現在も天保10年創業の世良屋、安永年間の頃創業の影山屋が糀屋を営み、面影を残す。 道笑町(どうしょうまち) 江戸期は城下の北東部、城をL字型に囲む外濠の角に位置する。城下東部を南北に走る山陰道と東西に走る本通りとが交差する地点にあたる交通の要地。町名の由来は御典医英道笑が居住していたことにいちなむという。