江戸期には立川新町といった。江戸期から1〜3丁目があり鳥取城下四十八町の1町。鳥取城の南東、城下町の東端に位置し天神川に沿う山麓部に立地する。町名の由来は、鳥取城の山下を流れていた立川にちなむという。
「因幡志」によれば、元禄年間までは人家もまばらな小村であったが法美郡と鳥取城下を結ぶ往還筋にあたるため、次第に栄えていったという。