江戸期は鳥取城下四十八町の1町。城下の南部に位置し、旧袋川に面する。中央を智頭街道が通る。町の由来は、瓦屋があったことにちなむ。
明治42年の鳥取案内によると、「妓楼は瓦町衆楽園内にあり、旧藩主池田氏の別荘ありし所なり」とある。明治15年の統計によると貸座敷55軒、娼妓140名となっている。