特産物としては、民芸の牛戸焼、清酒、アユなどが知られている。町の中心地は千代川、八東川合流の河原地区で、江戸期には智頭(上方)往来の要地、智頭方面からの筏流しの筏宿として栄えた。 町域は、千代川伏流水に恵まれ、良質の米を産することにより、大庄屋、庄屋などが酒造業を興し、藩政期当町の酒造りは十指に余るといわれた。 各河川の合流点にある河原は、洪水の常襲地で数多くの被害を被ってきた。 文禄2(1593)年、千代川の氾濫で流路が変わり、最初千代川右岸にあったが、この洪水のため現在地の左岸に移ったといわれる。