板井谷山には鉄山があり繁栄した。「生山やぶれ町、田の原地獄、霞お花のやりどころ」の俚謡は過酷な鉄山労働者の哀歌であった。当村の住民の多くは鉄山関係の労働に従事していた。奥日野の中心地として発展してきた。