「日本鉱泉誌」に久米郡湯の関温泉、延歴年間(782〜806)発見とある。 伝承によれば、養老年間(717〜24)温泉の湧出発見のち、洪水山崩れのため一時途絶えていたが、弘法大師巡錫のおり再興。その後再び荒廃したものを元弘年中(1331〜34)山名集が浴槽を設けたという。 江戸期に作州往来の宿場として、湯治客として「湯の関の湯」といわれていた。明治中期には4軒の湯泉旅館が営業し、共同温泉も村人の手で発掘されている。