黒坂は、池田家の家臣福田氏の自分手政治が行われ、福田氏から苗字を許された町人の中から目代が選任された。 当地は日野往来の宿駅でもあり、すでに寛永14年の因幡伯耆駄賃銀宿賃書付にも当地の名が見える。しかし宿の機能を果たさず人馬継立のみをする「駅」であったと考えられる。 また、万治2年には制札掲示場に指定され、安政3年には宿送継場となった。
明治3年、黒坂宿と改称、明治5年の戸数184・人口657(日野町誌)